慶応義塾開校の祖である福沢諭吉は、戊辰戦争のさなか学びを止めなかったという事で知られています。

慶応義塾[ステンドグラス]文明の火には「学問教育の尊重を他の何よりも優先させた」とありますが、よくよく調べてみると福沢が学びを止めなかった本当の理由が書かれています。

「明治元年の五月、上野で大戦争が始まって、その前後は江戸市中の芝居も寄席も見世物も料理茶屋も皆休んでしまって、八百八町は真の闇、何が何やらわからないほどの混乱なれども、私はその戦争の日も塾の課業を罷めない。上野ではどんどん鉄砲を打っている、けれども上野と新銭座とは二里も離れていて、鉄砲玉の飛んでくる気遣はないというので、丁度あのとき私は英書で経済の講義をしていました。」

上野と新銭座の距離が二里(現在の約8㎞)もあったことから、当時の鉄砲玉や大砲の球がこの距離まで影響を及ぼすことはないと判断したからです。

私は決して福沢諭吉の回し者ではありません。

私の母校はそのライバル校である早稲田大学で当時はまだ大学は出来上がっていませんでした。

さて、本題に戻ります。

私が学びを止めずに一か月間授業を継続した理由は、オンラインであれば感染のリスクはないと判断したからです。福沢のそれと理由は同じです。

国や県からの休業要請(協力)を受けて本日までしっかりとその対応ができたことを我ながら誇らしく思っています。

明日からは、国や県のガイドラインに基づいて感染拡大をさせないように運営の再開をしてゆきたいと思います。

*新型コロナウイルスの感染状況は日々刻々と変化するものと理解しています。当該地域の情報をいち早くキャッチし、再び対面授業をやむなく中止することもありますが、当塾は「学びを止めない本当の意味」を体現すべく、オンラインも更に充実させてゆきますので、どうぞ安心して学問に取り組んで頂きたいと思います。

稲門進学会はこれからも生徒と保護者そして講師の安心安全を第一義と考え、教育を通じて地域社会に貢献いたします。

Post Author: toumon

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